仕事のことを振り返る(2013年)

2013年に新卒として某東証一部上場企業に入社した私は、右も左もわからない町である横浜の支店に配属された。
実に3年ぶりくらいに新卒が配属されるということだったので、支店のメンバーから「こいつはどういうやつなのだ?」というまなざしで見られていたと思う。
横浜支店は13名くらいで運営されており、全社的に見ても小さい部類の支店であった。

最初は支店内で書類を作成する担当についた。
その時に、俗にいうOJTを施されることになったわけだが、その担当としてY氏が就いてくれた。
Y氏は当時4年目の女性で、妹と暮らしていたと記憶している。
厳しい人ではあったが、仕事は非常に優秀であった。2018年ごろにはニューヨーク支店に配属されることになる。

当時の私は、言われたことをやるか、くらいの気概だったのだが、妙にプライドの高い私は『誰よりもメモを取る』ということだけを目標に日々を過ごしていた。
言われたことを2度と言わせるなということをそれまでの経験でいやというほどいわれていたからの行動かもしれない。
定型的な業務を如何に正しく速く回すのかという事だけに、気を取られており、あまり頭を使わなかったので、メンタル的な体力は削られなかった。

半年ほど経ったある日、あまりにも型破りな仕事が来た。これまでの経験が微塵も通じないのである。
これに関しては参ってしまい、関係各所に電話をしまくりヒントを探ったが、全くと言っていいほど的を得た説明ができず、解決の方法を得られずにいた。
これにY氏は助け舟を出してくれたのだが、過剰な期待をされていたのか、『見損なったわ』の一言を残し、帰っていった事を思い出す。
これには安っぽいプライドを傷つけられた私だが、プライドなんて役に立たないので次の仕事に集中しようと言い聞かせていた。

その後すぐにY氏は営業部隊に配置転換されてしまい、不安ながらも私がY氏の業務をすべて引き継ぐこととなった。

しかしながら、このことが響いたのかミスを連発してしまい、自分の精神的な弱さを思い知った事件でもあった。
それからも様々事件が巻き起こり、すっかり心がすさんでいたのを思い出す。
何とか形勢を立て直して、ある程度の仕事ができるようになっていた私であったが、社外の評価はあまり芳しくなかったようだ。
というのも書類のミスが多いし、電話対応もぎこちない、書類の納期が遅れたり、とあるまじき失態を何度かまずいことをしていた。
新人とはいえ、突発的な出来事には弱い(今でもそうだが)など、優秀な部類の人間ではなかっただろう。


年が明けて2014年なったころ。営業を担当していたT氏が退職するという噂がまことしやかに流れてきた。
20代の人が退職するということが多い会社であるという、噂を聞いていた私であったが、この時に初めて退職交渉の現場を目の当たりにしたのだ。
T氏は2014年春には退職となるため、営業部隊に欠員が出ることとなった。

当時の支店長は非常にやさしい人で、「伊右エ門は現在の職務が向いていないのであって、本来は明るい人間なので、客前に立てばよい営業になるかもしれない」
と考えたようで、2014年度から営業に配置変更となった。この配置転換こそがその後数年間で徐々に浮上していくきっかけとなった。